遺言は何故、厳格な要式性を採るのか
遺言は厳格な要式性が要求されています。
この要式性に従った遺言のみに法律上の効果が発生します。
民法上にも、「遺言は、この法律に定める方式に従わなければ、することができない」と規定されています。
この遺言の要式性は、民法上の原則と一線を画しています。
それは、他の民法の原則は、契約等でもみられるように、当事者の意思表示で効果が発生し、この意思表示の形式も自由だからです。
それでは何故、遺言に厳格な要式性を要求しているのでしょうか。
その理由は、他の法律行為が意思を発信した者に対し、その真偽を確認できるのに対し、遺言では、その効果が発生する時点では、遺言者は既に亡くなっていて、その意思の真偽の確認が行えないからです。
そこで、遺言にできるだけ要式性を要求して、間違いを可能な限り無くそうと工夫されているのです。
このように民法が遺言に厳格な要式性を要求しても、自筆証書遺言では、頻繁に日付等が無いような方式の不備がある遺言が見受けられます。
これでは遺言が無効になってしまいます。
遺言にはこのほか、押印しなければならないといった形式上の要件があります。
この押印は、印鑑証明のとれる実印が要求されるものではなく、いわゆる三文判でもよいとされているので、押印の有無はあまり問題としなくてもよいのではないかとの意見も存在します。
この点、三文判は誰でも100円ショップ等で購入して押印できるので、この意見も説得力があるとも考えられます。
ただ、日本の慣習からして、印鑑を押すことが、本人の最終的な意思の確認の完了を意味するので、この押印の要件は、なかなか外せない要件と解釈されているのが現状です。
今後、この押印要件は、社会的認識の流れの中で無くなる可能性もありますが、意思表示者の意思を形式的に確認する意味で存続していくのではないでしょうか。
遺言書作成は、最初に書く時に要式性が要求されるだけではなく、遺言書の訂正にも厳格な要式性が課せられています。
何故なら、遺言者の意思をその死後正確に伝え、その後の改ざんの危険を可能な限り回避することが必要だからです。